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かんふぁたぶるハーモニー

奏音(かのん) プロフィール

認知行動療法カウンセラー
アドラー心理学・勇気づけリーダー
SC協会認定スピリチュアル・コーディネーター 
元中学校教諭・教育相談員
ヒーリングヴァイオリニスト

 

自身が経験した理由のわからないイジメやモラハラ、パニック障害と鬱の併発や不安障害、息子の不登校など多くの困難を克服してきた経験を元に

カウンセリングとヒーリングの手法を合わせたオリジナルのセッションを行っています♪

さらに、「聴くだけで癒しにつながるヴァイオリン」~自律神経を整える効果があるヴァイオリンの波動~私が演奏したオリジナルの音源をプレゼントしています♪

 ♪♪♪♪♪ ☆ ♪♪♪♪♪

まずは、私の壮絶な過去の一部を読んでください。

今から20年以上も前の話です。
1998年7月~8月

私は真夏にもかかわらず、冷房のない部屋で
ガタガタ震えながらほぼ一日中寝たきりで過ごしていました…

思考がまったく働かなくなり、
今日が何月何日なのかさえわからなくなり…
24時間休みなく頭の中で耳鳴りがして
一日中船酔いのような状態で
まっすぐ歩くこともできなくなり…

光や音のちょっとした刺激にも耐えられなくなり、
真っ暗な部屋で、何も音のない世界で

「生ける屍」のような状態で
絶望の日々を過ごしていました…

そんな、治る見込みのない日々を
1ヶ月半ほど送っていたある日のこと

生きているのがとてもつらくなり…
突然に、自殺願望が芽生えました…

「あの窓から飛び降りて、死にたい…」

そう思ったその瞬間、
当時まだ2歳だった息子が
「おかあさ~ん!」と抱きついてきて
はっと我に返った私は

「この子のために、何としても生きるんだ!」

と、スイッチが切り替わり、
命の恩人とも言える息子のおかげで
今まで生きてこられました。

何としても生きなければと
精神科を受診したあとは
薬の副作用で

喜怒哀楽をなくしたこともありました…

抗うつ剤は
「哀しみ」や「怒り」を和らげると同時に
「楽しい」や「嬉しい」という感情さえも
無くしてしまう薬でした…

そんな日々の中で
息子の笑顔が
私の喜びとなり

一時は耳鳴りのために
まったく弾けなかったヴァイオリンも
少しずつ奏でることが出来るようになり、

今は、
自分の喜怒哀楽を音に乗せて
聴く人の心に響く癒しの波動を
お届けできるようになりました。

私が今、笑顔で毎日を過ごせるのは、
大切な一人息子と
大好きなヴァイオリンのおかげです。

 ♪♪♪♪♪ ☆ ♪♪♪♪♪

そんな私の壮絶な過去に至るまでのおいたちと
闘病後の人生について、

よろしければ詳しいプロフィールをお読みください♪

   ♪~♪~♪~♪~♪

(プロフィール・目次)
・両親共働きでケンカが絶えず寂しかった幼少期
・イジメに遭った小学校時代~理由なくイジメられた理不尽さ
・成績優秀・文武両道でも褒められなかった中学時代の苦悩
・またもや理不尽な高校時代のイジメと「母の敷いたレール」から逃れられなかった大学選び
・好きでもないのに行った大学~その後の人生を支えてくれる楽器との出逢い
・そして、教師に…立派な教師だった母と比べられる日々
・ガマンの連続だったモラハラ夫との結婚生活
・まさかの、子宝を授かっても、モラハラ…
・どうして?出産後も、モラハラ…
・産後の過労と睡眠不足から、突然のパニック発作
・そしてある日、自殺願望は突然に…
・母の反対を押し切って精神科へ…喜怒哀楽を失った日々
・3度、離婚を考えた…子どものために、あきらめて
・大病やケガに見舞われた息子のこと
・50代の迷走…占い依存で散財した数年間
・夫との別居を決断、一人暮らしそして自立へ

   ♪~♪~♪~♪~♪

 

両親共働きでケンカが
絶えず寂しかった幼少期


💎私は九州のとある片田舎に、
両親共働きの家庭の
2番目の子ども(長女)として生まれ、
  ケンカの絶えない両親の元で
大人の顔色を伺いつつ
幼少期を過ごしました

私が両親の狭間で
悩み苦しんでいたことを、
当の張本人である両親が知る由もなく…

唯一、離れの祖母宅で過ごす時間が、
幼い私にとっての安らぎの時間でした。

イジメに遭った小学校時代
~理由なくイジメられた理不尽さ

💎大人の狭間で気を遣いながら
幼少期を過ごした私は、
小学生の時に2度のイジメに遭いました…
小5の時のイジメは
短期間で終わりましたが、
小6の時のイジメは、

『ある日突然に』
前日まで仲良くしていた友達から
無視される

という衝撃的な事件で、

結果的にクラスの女子全員から
村八分に遭うことになり、
それは小学校の卒業式の日まで
続きました。

その陰湿ないじめの首謀者は、
町一番のお金持ちの娘…
誰もその子の命令に
逆らえなかったということを、
卒業後に友達から打ち明けられました…

このとき、
自分が何も悪いことをしていなくても…「イジメ」は起こるのだと知りました…
イジメは、理不尽なものなのだと悟り…
この経験を通して、イジメられないように…

周りの空気を読んで、
 顔色を伺いながら
過ごすようになっていったのでした…

成績優秀・文武両道でも
褒められなかった
中学時代の苦悩


💎そんな私でしたが、
中学時代は学業トップクラスで、
運動もバスケ部レギュラーで活躍し、
小学校の時から習っていた書道でも、
展覧会で上位入賞を
果たしたりしていました。

ですが…
何でも一番でないと気が済まない母
からは、

学年2番でも…
もっと上がいるでしょ?

96点でも…

あと4点はどうしたの?

全国書道展で特選になっても…
もっと上にナントカ大臣賞とかあるでしょ?

と…

いつも足りない部分に
フォーカスされて…

あまり褒められた記憶が
なかったのでした…

またもや理不尽な高校時代
~イジメと「母の敷いたレール」から逃れられなかった大学選び

💎高校は地域一番の進学校へ。
よその中学から優秀な生徒が
たくさん集まってきたので、
私の成績は中の上程度でしたが、
高1のクラスや
吹奏楽の部活はとても楽しく、
毎日が充実していました。

ですが、高2のある日、
私の小さなミスに
腹を立てたある女子から
強烈なイジメを受けるようになりました…

彼女は毎日
私の顔を見るたびに暴言を吐き…

楽しかったはずの高校生活が、
一気に辛いものになってしまいました…

でも、この時は

仲の良かったクラスメートが
陰で支えてくれたこともあって、
何とかクラスの中で
孤立せずに済みました。

ですが、
重箱の隅をつつくような

イジメを受けたことで
小6の時と同じようなタイプの人にはイジメられやすいかもしれない
と思うようになっていきました…

 

💎高3になり、
進路選びの時期になりました。

自分の希望としては、
当時大好きだった
英語関係の勉強ができる
英語科や英文科か、
なぜか大好きだった
縄文時代の勉強ができる
史学科を希望していましたが、

「女性が安定して
 男性と同程度の収入を得られる」
ことや
「公務員になって
 実家の近くに居てくれる」
ことを強く希望した

母の意向に逆らうことができず、
母の望んだ大学に
進学することになりました。

💎幼い頃から
『母の敷いたレールの上を走らされている…』と強く感じていたにもかかわらず…


大学進学時には

そこから逃れることができませんでした…

 

好きでもないのに行った大学~その後の人生を支えてくれる楽器との出逢い 


💎母の敷いたレールから外れることができず、教育学部に行った私でしたが、
入学直後に、
その後の人生を支えてくれる楽器
出逢いました。

18歳から始めた程度では、
大して弾けるようにならない
というのが世間の常識ですが、

私は大学時代、暇さえあれば
ヴァイオリンを練習して、
母校の史上初めての
大学からヴァイオリンを始めた学生が
ヴァイオリンで卒業演奏をするという
快挙を果たしました。

その後は、パニック障害を患った後、
地方のアマチュアオーケストラで
コンミスを十数年経験させていただきました。

母の敷いたレールに乗った結果でしたが、

その後の
苦労続きの人生を支えてくれた

大好きなヴァイオリンとの出逢いには
本当に感謝しています。

 

 そして、教師に…立派な教師だった母と比べられる日々 

💎大学4年時に受けた
小学校教員採用試験は
当時の倍率13倍で不合格…
卒業後は実家に戻り、
事務のアルバイトをしながら勉強して、

翌年は中学校の
音楽教員採用試験を受け、
6倍の競争率を突破して合格しました。

そして、大学卒業から1年後、
23歳の時に、
私の地元エリアの中学校に
音楽教師として赴任しました。

しかし、
そのエリアは
母がかつて教員として働いていた地域


新米の私は、
立派な教師として名を馳せていた
母のことを知っている多くの同僚に
囲まれることになりました…

元々向いていないと思っていた
教師業でしたが、

「〇〇さんの娘なのに…」

と比較されることが多く、

さらに自信を
喪失していくことになりました…

母の呪縛から逃れたい!
自分には向いていない
教師という仕事も辞めたい…

 そんな思いが日に日に募りました。

ずっと
『母の敷いたレールの上を
 走らされている…』
と感じていた私は、
当時交際していた彼と結婚して

実家から
遠く離れたところで生活すれば、
母の呪縛から逃れられる…

そう思うようになりました。

 

💎彼は、交際中から
ちょっとしたことで
すぐにキレる人だったので、
彼を知っている友人たちからは

「別れた方がいい」

とアドバイスを
受けていたにもかかわらず…

『母の敷いたレールから外れるために』

27歳の時に、彼と結婚しました。

 

 ガマンの連続だったモラハラ夫との結婚生活 


結婚後は専業主婦になり、
知人も親戚も…誰もいない土地で、
ただ夫の帰りを待つ生活になりました。

平日朝から夕方までたった一人で
誰とも話すことなく
夫の帰りを待つ生活は
想像以上に寂しく…

やっと帰宅した夫に、
その日に見た
テレビの芸能ニュースネタを話すと、

半ば呆れたように
ため息をつかれてしまう始末…

見かねた夫から
外へ働きにでるよう促され、
数か月後から
大企業の事務パートとして
働き始めました。

 

💎当時の経済状況から、
車を1台しか持てなかった我が家は、
夫の送り迎えから家事全般すべてを
私が一人でこなすことになりました。

 

💎夫は、読んだ新聞もたたまない、
食事後の食器運びもしない人でした。
家では、「めし・ふろ・ねる」という、
まさに昭和の親父を絵に描いたような人…

周りからは
「とても優しそうなご主人ですね!」
と言われていましたが、

男尊女卑の考えが染みついた
九州男児で、

「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ!」

「お前は三食昼寝付きでいいな!」

「お前が俺より稼ぐなら俺が主夫をやってもいいが、
 どうせお前が働いてもたいした金にはならない」

とバカにされ、
結局何一つ手伝ってもらうことは
できませんでした…

 

 

 まさかの、子宝を授かっても、モラハラ… 

💎30歳の春に、妊娠が判明しました。
結婚4年めにして授かった命は、
6週目という
ごくごく早期だったのですが、
判明から数日後、入浴時に出血があり…

「切迫早産」
との診断で、即入院となりました。

私のお腹に宿った小さな小さな命が
消えてしまうかもしれない
恐怖と闘いながらの入院生活でしたが、

夫にとっては
妻の妊娠はしょせん他人事
毎日お見舞いに来てくれることもなく、
3日に1回ほどのお見舞いも嫌々ながら…

そして、
入院から1週間近く経ったある日のこと…

「いつになったら退院できるんだ?
 俺の世話は誰がやるんだ!」

…お、お、おれのせわ???…
…絶句…あまりの驚き発言に、
開いた口が塞がりませんでした…

 

💎この時、主治医には
「今退院したら、赤ちゃんの命に
 責任は持てませんよ…」

と言われながらも
無理矢理退院を許可してもらいました。

もし、これで流産したら…
私は一生夫を許さない…
あの時私は本当にそう思いました。

💎こんな夫なので、
当然その後も家事を手伝うことなく、
どんどん大きくなる
お腹を気遣うこともなく
日々は過ぎていきました…

私は出来る限り
自分で何でも頑張りましたが、
妊娠後期はやむを得ず
週末、買い物嫌いの夫に
付き添ってもらわなければならなくなりました。

 

💎とある週末、スーパーに買い物に行き
夫に荷物持ちを手伝ってもらおうと思い
2つのレジ袋のうち重い方
(5キロの米袋が入っている袋)を
持ってもらおうとしたら…

「お前が持っても俺が持っても、
 5キロは5キロ!」

そう言って、重い方のレジ袋を
持とうとしませんでした…

絶句して半泣きになりながら
重い袋を持ったあの時のことは、
今も忘れられません…

 

💎そんな夫の両親、舅と姑は、
あまり多くを語らず
おとなしい方たちでした。
ですが、モラハラ夫の父親も、
やはりモラハラ男でした…

子どもを授かり、
喜びいっぱいだった私が
夫の実家に帰省した時に、
舅が私に言い放った言葉は…

「もしも、お腹の子どもが
 障害を持って生まれたら、
 それは我が家の遺伝ではありません!」

その1年前、夫の従兄のところに
障害を持ったお子さんが生まれ、   
それで過敏になっていたのかもしれませんが…

モラハラ夫の父親も、モラハラだった…
夫のみならず、舅にも
絶望した瞬間でした…

 

 どうして?出産後も、モラハラ… 


💎翌年1月、里帰りをして
長男を出産しました。
慣れない育児は大変でしたが、
子どもを授かった喜びは大きく、

しばらくは幸せな日々が続きました。

 

💎その年の夏、生後半年ほどの頃に、
夜泣きが始まりました。

この時期は、
何をやっても泣き止まない…
それは仕方ない、
そういう時期なのだと思いつつも、

もしかしたら
何か悪い病気なんじゃないか…
そんな不安を抱えながら
過ごしていたある日のこと、

いつ終わるかわからない息子の夜泣きに
業を煮やした夫が激怒して…

「泣かせるな!お前たちは
 昼間寝てればいいだろうが!」

と暴言を放ち、
布団を持って
隣の部屋へ行ってしまいました…

昼間もほとんど寝られず、
24時間営業の育児の合間に
家事をしている私のことを
夫が理解することはなく…

こうして、
我が家の家庭内別居は始まりました。

 産後の過労と睡眠不足から、突然のパニック発作 

💎翌年の秋、実母の乳がんが見つかり、
母の見舞いと
父や兄の生活サポートのために
頻繁に関東から九州へ
帰省することになりました。

夫の協力が得られないままの
核家族での育児に加え、
さらに実家のサポートの
負担まで加わって、

私の心身は少しずつ
蝕まれていきました…

 

💎そして、息子が2歳を迎えた年の
ゴールデンウィーク中に、帰省中の実家で、
深夜、急激な体調不良に襲われました

それは、今まで経験したことのない
急激な症状で…  
突然全身の血の気が引いて意識が遠のき、
ガタガタと震えが襲ってきて
『このまま死んでしまうのではないか…』
と、死の恐怖を感じるような
強烈な症状でした…

救急車で行った病院では、
看護師や医師から

「こんな夜中に…」   
自律神経失調症ですよ。
 今まで同じようなことあったでしょ?
 まったく夜中に人騒がせな…」         

と、吐き捨てるように言われ、
ぞんざいな扱いを受けました…

 

💎その日を境に、私の体調は
坂を転がり落ちるように
悪化していきました。

ゴールデンウィーク後に
関東の自宅へ戻ったあとは、
過呼吸発作や不整脈、
めまいや冷や汗など

多くの症状に悩まされるようになり、

7月に父が遊びに来た際に
また大きな発作が起き…
驚いた父が、
私と息子を実家へ連れ帰りました。

 

💎実家では、内科・耳鼻科・眼科など
いくつかの病院を受診しましたが、
どこの病院でも
「異常なし」
との診断でした…

 

💎20年以上前の田舎では、まだ
「パニック障害」
という病気は認知されておらず、
実家でほぼ寝たきり状態に
なってしまった私に
母が放った言葉は…

「頑張らんかね!
 こんな小さな子どもを抱えて
 母親のアンタが頑張らんで
 どうするんね!」

どこの病院でも異常なしと言われるのに
身体は多くの症状を発し、
日常生活がまともに送れない…

そんな私のことを、母は
「怠け病」だと思ったようでした…

「お母さんは何にもわかっていない!」 
   
「私は頑張って頑張って…こうなったんよ!」

「私がこうなったのは、お母さんのせいよ!」

私は、泣きじゃくりながら、母に訴えました…
これまでの人生で、ずっとずっと頑張ってきたこと、

それは、母が私に
「頑張ること」
を強制してきたから…

いつもいつも頑張って、頑張りすぎて
こんな病気になってしまったことを

初めて母に訴えました。

ですが、私の気持ちを、
母が理解することは
難しかったようでした…


その後の私は、
目の焦点も合わなくなって
光の刺激が苦痛になり、

24時間休みなく
鳴り続ける耳鳴りのために
音のある世界で過ごせなくなり、

少しでも食事をお腹に入れると
腹痛や吐き気が襲ってきて
どんどん痩せていき…

常にめまいがして
廊下をまっすぐ歩くことができず、  
身体は冷え切って
真夏なのにガタガタと震え…

私は実家の隅の
真っ暗で静かな部屋にこもり、   
ほぼ一日中
寝たきり状態で
過ごすことになりました。


可愛い盛りの息子と
遊ぶこともできず、
おしっこでタプタプになってしまった
おむつを替えることもできず、

身体がおかしくなってしまった…
だけではなく、

思考もまともに働かなくなり、  
その日が何月何日なのか?
何曜日なのか?1+2は?

そんな簡単なことさえわからなくなり、 
「私は頭がおかしくなってしまった…」
そう思うようになりました。

 

 

 

 そしてある日、自殺願望は突然に… 

💎そして、忘れもしない8月31日

父が私の気晴らしになればと
私と息子を小旅行に
連れ出してくれました。
息子は父に手を引かれて
一日楽しく過ごし、
その日は高層ホテルの
確か26階の部屋に
泊まることになりました。

チェックインしたあと、
息子はウルトラマンや
ゴジラのフィギュアを
テーブルに並べて遊び始めました。
父は、タバコを吸うために
部屋の外へ出て、

部屋には私と息子の
二人きりになりました。

その直後のことです…

私は突然に、  
「死にたい!」
「この部屋から飛び降りて死にたい!」
そう思ったのです。

冷静に考えれば、
ホテルの高層階の窓から
飛び降りることは不可能だと
わかるのですが、

当時はそんな思考力も働かず、
ただ「死にたい!」
そう強烈に思ったことを覚えています。

その時、
少し離れたところで遊んでいた息子が

「おかあさ~ん!」

と抱きついてきました。

私は、はっと我に返って息子を抱きしめ、
泣きじゃくりました…
その瞬間に、私は

「これは、精神病かもしれない…
息子のために、生きなくては!精神科に行かなくては!」

そう思ったのでした。

わけのわからない病気に悩まされ、
生きる気力をなくしかけていた私に、

大切な大切な我が子が
再び生きるためのスイッチを入れてくれた

大きな大きな出来事でした。

 

 母の反対を押し切って精神科へ…喜怒哀楽を失った日々 

💎世間体を気にする母は、
私が精神科へ行くことを
とても嫌がりましたが、

私は母を説得し、
夫の実家近くの評判のよい精神科に
通うことになりました。

夫の実家から徒歩で行ける病院へは、
優しい姑が付き添ってくれました。

精神科の先生からは
「仮面うつ病」
という病名を告げられました。

心の病気が仮面を被って
身体の症状として
現れているというもので、
うつ病とは違うといわれて
ホッとした
ことを覚えています。

 

💎処方された薬は
抗うつ剤精神安定剤睡眠薬
~睡眠薬のおかげで
コンコンと眠り続け、
目が覚めないのではないかと
姑を心配させてしまったこともありました。

9月から翌年1月まで、
自分の実家と夫の実家を
行き来しながら通院しました。

とりあえず寝たきりから
少しずつ起き上がれるようになり、
息子の世話も少しずつ
できるようになりました。

ですが、この時の私は、
「薬で生かされている」と感じており、

うつを改善する薬のせいで
全ての感情を平坦にされてしまい、
喜怒哀楽を無くしてしまいました。

薬のせいで一日中ボーっとしていて、
苦しいとか辛いとかいう感情が
薄くなっていきましたが、

楽しいとか嬉しいとかいう感情も
なくなってしまった…
そんな感じでした。

 

💎その後、半年ほどの病気療養を経て、
私は息子と一緒に関東に戻りました。

関東で受診した
精神科クリニックの先生は、
とても素晴らしい先生で、
初診の時に
私の話を丁寧に聞いてくださったあと

「よく頑張ってきたね!」
「もう頑張らなくてもいいからね!」

と言ってくださいました。

私のことをわかってくれる人に、
やっと出会えた!
そう思いました。

この先生のところに通えば、
きっとよくなる!
そう思っていた矢先、
夫の転勤が決まり…

結果、私の闘病生活は
その後、二十年以上の
長きに渡ることとなりました。

 

💎転居先では、
とりあえず安定剤と漢方薬を
処方してくれる病院に通いながら、
自分なりに
様々な治療法を模索したのですが、

身体の方は食事療法や整体で
ある程度よくなっても、
心の不調は
なかなか改善できませんでした…

その頃は、なぜ身体を良くしても
心の状態が改善しないのか
わかりませんでした…

💎夫は私の体調不良に理解を示さず、

「自律神経の不調なんて誰にでもある。
 お前は昼間寝てればいいだろう!」

と言われる始末でした…

 

 

 

 3度、離婚を考えた…子どものために、あきらめて 

💎自身の体調不良を
治す方法が見つからず、
家事・育児にまったく協力しない
夫との生活に絶望した私は、

…その後、3度離婚を考えました…

 1回目 34歳・冬 

💎離婚を決意して
荷物をまとめて実家に戻り、
医療事務の講座を受講して合格。
子どもが4月から通う幼稚園も決めて、
離婚準備を進めていたのですが…

ある夜、子どもが
「お父さんに会いたい!」
と泣きじゃくり…
子どものために、離婚を断念しました…

 2回目 36歳・冬 

💎この時は
子どもの入学準備で口論になり
夫から殴られそうになりました…
すんでのところで殴るのをやめた夫は、

私を殴る代わりに
私の大切な物を
床に投げつけて壊しました…

息子の小学校入学前に
離婚しようかと悩み、
役所に離婚届を
もらいに行ったりもしたのですが、
結局決意しきれず離婚を断念しました…

 3回目 40歳・春 

💎小4になったばかりの息子が、
突然体調不良を訴え
登校困難になりました…
いくつかの病院を受診しましたが、
体調不良の原因はわからず、

息子は、週1回
カウンセリングを受けることになり、
車で片道1時間以上かかる先生の所へ…
当初は夫の運転で行っていたのですが、
夫はカウンセラーの先生に
会うことも拒み、
土曜日が息子の通院で潰れることに
不満を溜めてブチギレ…

「お前たちは毎日休みだから
 いいだろうが、俺には
 土日しか休みがないんだ!」

「俺の土曜日を、返せ!」

お、お、おれの、どようび?…
その瞬間に、

息子を介して
私と夫をつないでいた細い細い糸が
プツン…と音を立てて切れました…

終わった…そう思いました…

この時も、かなり悩みましたが、
当時すでに、自宅新築の話が進行中だったこともあり、離婚を断念…
その後は、
夫が死んだら住宅ローンの返済がなくなるので

「夫が早く死ねばいい…」
と思うようになりました。

自分でも、そんな自分のことが恐ろしい…と思いながらも、その感情は私の中から消えることはありませんでした…

💎その年の冬に自宅が完成し、
新築の家で過ごす喜びもつかの間…
会社から帰宅した夫が
毎日のようにキレる
という恐怖の日々が始まりました…

なぜキレるのか?
何にキレるのか?
その理由は私にはまったくわからず…
毎日「地雷を踏む」ような
日々でした…

息子は夫が帰宅したときの
車の音がわかるようになり、
遠くから夫の車の音が聞こえると

「お父さん帰ってきた!」

と、慌てて
それまで遊んでいたおもちゃを
片付けるという神経の使いようでした。

 

 大病やケガに見舞われた息子のこと 

💎その後、数年かけて
登校困難を克服した息子でしたが、
その後も様々な苦難を経験しました。

骨折
急性心膜炎
肺気胸…

私が苦しむだけなら
どんなことでも耐えるけど、
どうして神様は
息子にこんなにもたくさんの
試練を与えるのだろう…と、
「神も仏もない」
気持ちになりました。


息子は、幼い頃から
私と夫の関係が悪いために
どうにかして仲を取り持とうと

いつも気を遣っていました…
そんな息子に、多くの災難が…

私は、
息子に災難が降りかかるたびに、

自分を責めていました…

 

息子が中3の時に、
夫に転勤辞令が出て
夫は単身赴任になりました。

キレやすい夫が居なくなり、  
息子との二人暮らしは
多少の反抗期もありましたが
穏やかな日々でした。

   
そして、
息子が大学に入学すると同時に、
私は一人暮らしになりました。

息子が居ない生活は想像以上に寂しく、
周囲の予想通り、私は

「空の巣症候群」
になってしまいました…

息子が生まれてからこれまで、
自分のことは後回しにして
息子のために生きていた私は、

これから何を支えにして
生きていけばいいのか
自分を見失い、
深く悩むようになりました…

そして、50歳を目前にして、
色々なことに
焦りを感じるようになりました…

 

 50代の迷走…占い依存で散財した数年間 


50歳を目前にして

人生このままでいいのか?
やり残したことはないのか?
様々悩むようになった私は

  
民間のカウンセラーさんのカウンセリング
を何度も受けたり…

夫からの経済的自立を目指して
インターネットで
様々な副業に手を出してみたり…

頻繁に電話占い
利用するようになりました。


そして、不安になるたびに
話を聞いてくれる占い師さんに電話して
すっかり依存してしまうことに…

💎一人暮らしにようやく慣れた頃、
定年まで関東に居るはずだった夫が、
突然の辞令で単身赴任先から戻ってきました…

息子というかすがいのない夫婦二人だけの生活は
やはりギスギスとした日々になり…

我が家は再び寝食を別にする
家庭内別居生活になりました。

夫は時折キレて口論になり、物を投げたり大きな音や声で威嚇するように…

私は身の危険を感じるようになりました…

 夫との別居を決断、一人暮らしそして自立へ 


💎時を同じくして、
それまで長い年月精魂を傾けてきたサークルを辞めることになりました。

大きな支えをなくした私は、今後の人生について深く悩むようになり、
心療内科医や弁護士の勧めもあって、夫との別居を決断しました。

別居後は、様々なアルバイトをしながら
ヒーリングやカウンセリングの勉強をしました。

様々な心理療法を学んでいくうちに、
「学ぶだけ」では自分の状況は変わらないことに気づきました。

ヒーリングや整体も、
受けている時だけは良くなったように感じるけれど、
日にちが経つと、また元の状態に戻ってしまう…

私は、20年以上の長い年月
様々な体調不良に悩まされながらも
多くの学びを重ねてきました。

でも、素晴らしいものを学んでも、
素晴らしい治療家さんに出逢っても、

「負の無限ループ」から抜け出せず…


場所を変えても人が変わっても
同じような苦しみが続くという結果になっていました…

 「幸せの青い鳥」に、やっと気づいた! 


そんな月日が続いたのちに、
「自分のありかた」を学ぶ講座に出逢いました。

そして、その講座で学ぶうちに、
自分がなぜ、どんなに頑張っても
「負の無限ループ」から抜け出せないのか?

その理由がやっとわかったのです!

自分の外側に、
たとえば、私をイジメた人たちとか
ネガティブ思考を植え付けた実家とか
モラハラ行為を繰り返した夫とか

「今の自分がこんなに悲惨な境遇なんだ」
彼ら彼女らに原因探しをしても

私は幸せにはなりませんでした…

では、どうすれば、私は今の状態から抜け出して幸せになれるのか…

その答えは、実は自分の中にありました!

幸せは、外の世界に求めるものではないこと
今の私でもじゅうぶん幸せだと感じられるようになること

「自分のありかた」を学び、日々実践していくうちに、

私は、私のそばに居る
「幸せの青い鳥」を、やっと見つけ
たのです!

実は、私のそばにずっと居てくれたその鳥を、
私は20年以上も見て見ぬふりをして過ごしてしまっていたのです…

そのことにやっと気づいた私は、
私と同じような悩み苦しみを経験している方に、

私のように回り道をして、
時間とお金を無駄にすることのないように

最短で
「幸せの青い鳥」を見つけて
「負の無限ループ」から抜け出す
気づきのカウンセリングメソッドを作りました!

2019年3月より
ヒーリング&カウンセリングルーム
かんふぁたぶるハーモニーを開設

2021年4月より、
全国各地の方に門戸を広げる
オンラインカウンセリングを始めました!

さあ、あなたも!
あなたのそばに居る「幸せの青い鳥」

私と一緒に探しに行きませんか?

あなたが勇気を出して
私の部屋の扉を叩いてくださるのを
心からお待ちして
います♪