プロフィール

 

周波数が変わると人生が変わる!
家族の問題に悩み、
心身の不調を抱える方へ

音の癒し&潜在意識に特化した
心理カウンセリング

♬5minutes 音叉ヒーリング♬

☆魂の調律カウンセラー☆
   奏音です♪

30代で患ったパニック障害や鬱
息子の不登校など多くの困難を
克服してきた経験を元に

ヒーリングとカウンセリングの
手法を合わせた
オリジナルのセラピーを行っています♪

♪♪♪♪♪ ☆ ♪♪♪♪♪

それでは、私のプロフィールをお読みください♪

   ♪~♪~♪~♪~♪

(プロフィール・目次)
・幼少期~機能不全家庭で育って
・10代~イジメを何度も経験した子ども時代
・10代後半から20代~ヴァイオリンとの出逢いと人生の方向性大転換
・20代後半から30代~幸せではなかった結婚生活と産後の病気
・40代~やっと、私が私らしく居られる場所を見つけたのに…
・50代~生き方を模索して迷走した日々
・50代後半~「悪循環を断ち切る」講座との出逢い

   ♪~♪~♪~♪~♪

幼少期
機能不全家庭で育って


💎ンカの絶えない両親の元で
大人の顔色を伺いつつ
幼少期を過ごした私

1250gという、当時の医療では
助かることが厳しい未熟児で生まれ

生まれてからの3か月ほどを
ひとりぼっちで管に繋がれる
保育器の中で過ごしたことが

自分の中に常に存在する
「漠然とした不安」
原因だったのかもしれない…

そんな風に思いながら
生きづらい人生を送ってきました。

「ちょっとしたことで
火が付いたように怒鳴る父」

「自分の意思を絶対に曲げない母」

実は発達障害で空気が読めない兄と
HSP気質で空気を読みすぎる私

そんな4人家族で過ごした子ども時代は
私にとってはあまり居心地のよいものではなく…

唯一、離れの祖母宅で過ごす時間が、
幼い私にとっての安らぎの時間でした。

10代
イジメを何度も経験した子ども時代

💎大人の狭間で気を遣いながら
幼少期を過ごした私は、
小学生の時に2度のイジメに遭いました…

『ある日突然に』
前日まで仲良くしていた友達から
無視される

という衝撃的な事件…

なぜかわからないけど
イジメられる…という経験は
この時を発端に、大人になってからも続き

その理由がわからないまま
長い年月を過ごすことになりました…

💎そんな私でしたが、
中学時代は文武両道
典型的な「いい子」でした

基本的には
引っ込み思案で人見知り

友だちも少なく
地味で目立たない

でも、成績がよくて
運動もそこそこできる
書道や音楽など
芸術分野もそれなりに

そんな私でしたが

「何でも一番でないと気が済まない」
母から褒められることはほとんどなく…

自己肯定感の低い
子ども時代を過ごしました…

💎そんな私が進学した田舎の進学校
高1のクラスや吹奏楽の部活は
とても楽しく、毎日が充実していました。

が、高2のある日、
私の小さなミスに腹を立てたある女子から

強烈なイジメを受けるようになりました…

そのことをきっかけに
楽しかったはずの高校生活が、
一気に辛いものになってしまいました…

この時のイジメを発端として、その後の私は
「ほんの小さなミスでもイジメの対象になってしまい重箱のをつつくようなイジメやパワハラモラハラに頻繁に遭うこととなりました…

10代後半から20代
ヴァイオリンとの出逢いと人生の方向性大転換


💎大学進学は、
母の敷いたレールから外れることができず、
教育学部に行った私でしたが、

入学直後に、
その後の人生を支えてくれる楽器
出逢いました。

18歳で出逢ったヴァイオリンは
その後の私の苦しい人生を
支えてくれる大切な存在となりました。

30代でパニック障害や鬱を患ったあとも、
アマチュアオーケストラで活躍の場を与えられ

元来自己肯定感が低かった私が
「自分のことを大好きでいられる」
唯一の場所となりました。

母の敷いたレールに乗った結果でしたが、
そのおかげで今の私があることを
とても感謝しています。

💎大学卒業後
私の地元エリアの中学校に
音楽教師として赴任

しかし、
そのエリアは
母がかつて教員として働いていた地域


新米の私は、
立派な教師として名を馳せていた
母のことを知っている多くの同僚に
囲まれることになり…

元々向いていないと思っていた
教師業でしたが、

「〇〇さんの娘なのに…」

と比較されることが多く、

さらに自信を
喪失していくことに…

母の呪縛から逃れたい!
自分には向いていない
教師という仕事も辞めたい…

 そんな思いが日に日に募り

ずっと
『母の敷いたレールの上を
 走らされている…』
と感じていた私は、

結婚を機に、教師を辞めて
故郷を遠く離れて生活することを選びました。

20代後半から30代
幸せではなかった結婚生活と産後の病気


結婚後は専業主婦になり、
知人も親戚も…誰もいない土地で、
ただ夫の帰りを待つ生活になりました。

平日朝から夕方までたった一人で
誰とも話すことなく
夫の帰りを待つ生活は
想像以上に寂しく…

やっと帰宅した夫に、
その日に見た
テレビの芸能ニュースネタを話すと、

半ば呆れたように
ため息をつかれてしまう始末でした…

母の呪縛から逃れて
楽になったはずの私でしたが、

結婚生活はそんなに甘いものではありませんでした…

💎車を1台しか持てなかった我が家は、
夫の送り迎えから家事全般すべてを
私が一人でこなすことになりましたが…

夫は、読んだ新聞もたたまず
食事後の食器運びもせず
「めし・ふろ・ねる」という、
まさに昭和の親父を絵に描いたような人…

周りからは
「とても優しそう!」
と言われる人でしたが、

「誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ!」

などなど、どうせ私が外で働いても
いくらも稼げないだろうとバカにされ、
結局何一つ手伝ってもらうことは
できませんでした…

💎30歳の春
結婚4年めにしてやっと子宝を授かりましたが

妊娠初期に
「切迫早産」で入院することになりました…

ですが、夫にとっては
妻の妊娠はしょせん他人事

入院から1週間近く経ったある日のこと…

「いつになったら退院できるんだ?
俺の世話は誰がやるんだ!」

…という夫の言葉に、絶句…

主治医には
「今退院したら、赤ちゃんの命に
責任は持てませんよ…」

と言われたのですが
無理矢理退院を許可してもらいました…

💎翌年1月、里帰りをして
長男を出産しました。
慣れない育児は大変でしたが、
子どもを授かった喜びは大きく、

しばらくは幸せな日々が続きました。

💎ですが、その年の夏、
生後半年ほどの頃に、
夜泣きが始まったことをきっかけに

泣かせるな!お前たちは
昼間寝てればいいだろうが!」

と暴言を放ち、

我が家の家庭内別居は始まりました。

💎その後の私は、
過呼吸発作や不整脈、
めまいや冷や汗など

多くの症状に悩まされるようになったのですが、

どこの病院でも
「異常なし」と言われてしまった結果

療養のため実家に戻り
「ほぼ寝たきり」生活を送ることになりました…

身体だけではなく思考もまともに働かなくなった私は  
その日が何月何日なのか?
何曜日なのか?1+2は?

そんな簡単なことさえわからなくなり、
「私は頭がおかしくなってしまった…」
そう思うようになりました。

💎そして、忘れもしない、その年の8月31日

私の精神は崩壊し
自殺願望が芽生えました…

「死にたい!」と強烈に思ったそのとき

私に「生きる」スイッチを入れてくれたのが
当時2歳だった息子の存在だったのでした

💎それからの私は
必死で体調不良を治すための治療を模索しました。

ですが、特効薬や特別な治療法など
「私を治してくれる何か」
ひたすら探していた状態では

「ほんとうに私が元気になる方法」
見つけることができず…

通院して薬を服用しながら
民間の治療法をあれこれ模索することになったのでした…

結果、私の闘病生活は
その後、20年以上の
長きに渡ることとなりました。

その間の私は、なぜ身体を良くしても
心の状態が改善しないのか
わかりませんでした…

💎そんな両親の間で小さな心を痛めていたのか…
息子は、小4の時に突然体調不良を訴え
登校困難になりました…

💎その年の冬に自宅が完成し、
新築の家で過ごす喜びもつかの間…

会社から帰宅した夫が
毎日のようにキレる
という恐怖の日々が始まりました…

なぜキレるのか?
何にキレるのか?
その理由は私にはまったくわからず…
毎日「地雷を踏む」ような
日々でした…

💎その後、数年かけて
息子は登校困難を克服しましたが、
その後も様々な病気に見舞われ、多くの苦難を経験しました。

私が苦しむだけなら
どんなことでも耐えるけど、
どうして神様は
息子にこんなにもたくさんの
試練を与えるのだろう…と、
「神も仏もない」
気持ちになりました。

そして、私は
息子に災難が降りかかるたびに

自分を責めていました…

40代
やっと、私が私らしく居られる場所を見つけたのに…

💎心身の不調を抱えながら生活していく中で
唯一私が私らしく居られる場所を見つけました。

趣味のサークル活動
そこでは重要なポストを任され
「妻として」でも
「母として」でもなく

私が一人の人間として認められる
そんな場所でした。

「ほめられて育った」経験のほとんどない私が
「がんばりを認めてもらえる」初めての経験でした。

とはいえ、32歳で心身のバランスを崩してからは
たまに起きるパニック発作や体調不良など
健康不安が常につきまとう日々でした。

そして、やっと「私が私らしく居られる」
唯一の場所だったその場所も

ずっと克服できていなかった
「自己肯定感の低さ」から…

対人トラブルが起き
自ら身を引かなければならない事態になったのでした…

「私は誰のこともイジメていないのに…」
「私はみんなのためを思って頑張ってきたのに…」

理不尽な出来事に
子ども時代に経験した数々のイジメを重ね合わせて

私はどんなに頑張っても幸せにはなれず
信頼していた人からはしごを外されてしまう…

40代の終わりには、こんな風に
絶望的な気持ちで過ごすことになったのでした…

そして、時を同じくして
大切に育ててきた息子が大学へ進学し
私は一人暮らしになりました。

息子が居ない生活は想像以上に寂しく、
また、心のよりどころだったサークル活動も辞めてしまった私は

心の準備をしていたにも関わらず
「空の巣症候群」
になってしまいました…

息子が生まれてからこれまで、
自分のことは後回しにして
息子のために生きていた私は、

これから何を支えにして
生きていけばいいのか
自分を見失い、
深く悩むようになりました…

この時に、改めて
私はずっと
「息子とヴァイオリンに癒されていた」
ことに気づいたのでした…

50代前半
生き方を模索して迷走した日々


💎50歳という人生の大きな節目を迎えるにあたって
息子にもサークルにも依存していた生き方を
大きく転換せざるを得ない状況になった私は

占い師さんに依存してしまったり…

夫からの経済的自立を目指して
インターネットで
様々な副業に手を出してみたり…

何かに、誰かに、依存することで
不安定な心を落ち着かせようと迷走していました…

💎カウンセリング・ヒーリング・スピリチュアル…
いろんなものに手を出して学んでみましたが
「学ぶだけ」では自分の状況は何も変わりませんでした…

結局、
「負の無限ループ」から抜け出せない…
そんな日々が続き、もがき苦しむ状態が続きました…

50代後半
「悪循環を断ち切る」講座との出逢い


そんな月日が続いたのちに、
「悪循環を断ち切り
負の無限ループから抜け出す」
カウンセリング講座に出逢いました。

そして、その講座で学ぶうちに、
自分がなぜ、どんなに頑張っても
「負の無限ループ」から抜け出せないのか?

その理由がやっとわかったのです!

対人関係のトラブルを解決するには
「原因を他人に探す」のではなく

「他人との境界線を引き、
適切な距離感を保てるようにすることが必要」
なのだということを

理屈ではなく、感覚として
やっと自分のものにすることができたのでした!



そのことにやっと気づいた私は、
私と同じような悩み苦しみを経験している方に、

私のように回り道をして、
時間とお金を無駄にすることのないように

一日も早く、一人でも多くの方に幸せになっていただきたい!

という思いから

2019年3月より
ヒーリング&カウンセリングルーム
かんふぁたぶるハーモニーを開設♪

さらに、2020年からのコロナ禍で
ますます家庭内の問題で悩む女性が増えている今、

お客様の門戸を全国に広げるべく、
2021年4月より、オンラインカウンセリングを始めました♪
また、2022年7月からは
「音叉ヒーリング」を入口に
短期間で気づきを与える
ヒーリングとカウンセリングを融合させた
オリジナルのセッションを提供しています♪

あなたが勇気を出して
私の部屋の扉を叩いてくださるのを
心からお待ちして
います♪